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別れ [ママの事]

 

いままでに、悲しい別れは、だれでも経験しているよね。

でも、時間とともに、薄らぎまた、前を、向いて歩き出すんですよね。

一歩、一歩・・・・。

 

 内容が、暗いです。

スルーしてもらっていいですよ。

 

記事を、書いて・・・。

一歩・・・。

階段を、登ろうと、思います。

 

 

最愛の母との別れ

大腸がんの、手術を、去年3月の初めに終え・・・。

手術も、成功し切り取ってしまえば、再発がない限り大丈夫との事。

転移は、なし。

しかし先生は、抗がん剤投与を、進める。

再発しないようにと・・・。

 

しかし、母は、79歳・・・。

抗がん剤で、苦しむより、再発したら抗がん剤投与をする選択をしました。

20日程、入院し。

 

ポカポカ春には、縁側で、いつもいた。

体調も順調そうでしたが、5月ごろ、息子の結婚式にも、出席しないとの事。

 

その頃から、少し血液検査に異常の数値・・・。

先生は、抗がん剤を、打ちましょうと、進める。

 

再発です。

肝臓と、腸の淵に転移。

余りにも、早い転移。3月には、転移なしだったのに、

進行性とも聞いてなかった。

でも、抗がん剤で、大丈夫だって、

6月から、抗がん剤投与。

7月に、2回目。

もう、その頃には、79歳の母には、体力が、ありませんでした。

体調が、戻らないと、抗がん剤は、打てません。

悪循環で、癌が、ドンドン活性化してました。

年だから初期の癌だから、進行は、遅いだろう?なんて・・・。

そんな事ないんですね。

 

9~10月には、入退院の繰り返し、輸血、栄養剤の点滴ばかり・・・。

癌を、治す薬は、何もない。

そのころから、少し死という事に、直面しました。

でも、先生から、何の家族への、知らせはありません。

だめであれば、先生に呼ばれるだろう~。

 

11月には、家では、殆どパジャマでしたね。

11月13日。

突然、朝から、電話・・。

用件なし、でも、様子が、おかしいので、

病院へ・・・。輸血、点滴、即入院。

 

17日に先生から説明で、家族が、呼ばれた。

あ!もうだめか?

覚悟して、聞いた。

体力が、戻らないので、抗がん剤が、打てないので

癌の数値が、凄く病院では、どうすることもできない。

在宅介護か?

もしくは3ヶ月しか!いれないけど病院を、紹介します。

いますぐではなく。余命は、まだ。あります。

先生が、家族に伝える事遅くないですか?

疑問を、感じました。

温かくなるまでは・・・。

なんとか!いけたらいいと思います。

 

私たちは、在宅介護で、最後の親孝行することを、決意しました。

そのあと、病室に行くと、

昨日まで、凄く起きたり話したり、まだまだと、いう感じでした。

今日は、横になり、話もしてくれません。起きてもくれません。

私が、おかあちゃん今日は『、話してくれやんね 』 というと、コクンと、うなずき笑顔でした。

何故か?

今日から、モルヒネが、点滴に入っているようです。

家族は、何もしりません。

びっくりしました。

 

母が、痛くないようにして欲しいと、頼んだようです。

ロキソニンという痛み止めから、急にモルヒネ?

ロキソニンは、普通の痛み止めで、私も頭痛の時に飲んでいます。

凄く心配になり。

でも、痛くないようで・・・。

 

モルヒネが、聞いているから、

こんな状態だと、看護士さんが言う。

モルヒネが、取れたら元にもどります。19日午前1時までは、とれません。

 

私が、帰る時 『また、明日来るね 』 と、言ってカーテンを、閉める。

閉めた途端、また、サーとカーテンを、開ける。

何気なく、笑顔で、手を振って・・・。

バイバイ・・・。

母は、笑顔で、バイバイしてくれました。

その後、廊下を、歩きながら涙が、あふれました。

 

その夜、妹が、母の口に、煮物を、ふくます。トイレに体を、支え世話をする。

母が、その時は、色々話ししたようで、

妹に、貴方を、生んで良かった。色々ごめんね。ありがとう。が・・・。

最後の言葉でした。

私達は、疑いもなく帰宅。

 

11月18日。

 

え!

意識ない。モルヒネが、おかしい。取ってください。と、先生に伝えました。

先生は、モルヒネが、取れたら戻るからと、

でも、絶対 おかしいよ~。

 

19日、朝から、危篤です。と言う電話。

 

結局、20日には、79歳で、永眠。

初めて打った、モルヒネ中から、死亡にいたってしまった。

 

春まで、まだ、いけるって言ったじゃない。

母は、いまだに、何故、自分が、亡くなったか?分かっていないかも?

 

痛み止めを、打って痛くなくなって、

夢心地で、亡くなってしまったのだから。

 

苦しみ、痛みながら、最後を、看取るより、救いかもしれません。

そう思い、ぐっと!こらえましたが、

なかなか、気持ちの整理が、つきません。

 

でも、とても、いい亡くなり方でした。

私の腕の中で、息を、引き取りベットを、囲みきれないくらいの親族の方達。

おかあちゃん~!

発狂してました。

私自身、悲しい別れは、これが、一番でした。

まだまだ、辛いです。

 

母との別れ・・・。

バイバイと、手を振り

笑顔で、バイバイと、答えた母との最後別れでした。

 

追記・・・。

この、記事を、書くことで、自分自身の心が、軽くなるといいな。

前を、向いて歩くために・・・。

皆さんも、暗い重い記事を、最後まで読んでくださってありがとうございました。

もし、こんな状態に合われたとき。。。

少しでも、母の経験が、お役に立てればいいな!

こんな事って・・・。

あるんですよ・・・・。

まだ、病院側に、納得いってません。

 

でも、母は、いつも、言っていた。

電話の向こうで、

『 おかあちゃんは、幸せやった 』って・・・。

 

お母ちゃん~バイバイ~ sayonara.gif

 

 


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コメント 4

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koto

我慢せずに、いっぱい泣いていいのよ!

by koto (2011-02-23 09:52) 

ちびそら

おかあちゃんは、幸せやった ・・・の一言が余計涙を誘いますね・・・
文章に書く事で少しは気が晴れたかな~?^^;
by ちびそら (2011-02-23 22:21) 

YOUR-MOM

もらい泣きしました。
癌という病気は医者がどういおうと、先の読めないものです。
あびちゃんさんの腕の中で安らかに永遠の眠りについたことはおかあちゃん
の幸せな人生の最後の場としてふさわしい場所だったのではないかしら?

by YOUR-MOM (2011-02-24 09:08) 

syuto_2011

はじめまして・・・かな  (探し当てたあびちゃんですね)
初めてコメント残させていただきます
まだ癒されない時を過ごしておられるのですね

>前を、向いて歩くために・・・。 
       書くことで少しづつ納得していって下さいネ


いつかは誰でもが経験する事ですが
別れ 辛いです

私もこの3年の間に義父100歳 実母91歳 甥との別れを経験しました
この年になるまでいてくれた義父実母に感謝です

姉も去年10月38年ぶりの2回目の癌 手術幸い成功して元気になりましたが
次々といろんなことがありました 

残った者、生きている者は元気を出さ無ければいけません
がんばりましょ!!

もらい泣きをしながらよみました  
あびちゃん ファイト!!  ですよ
by syuto_2011 (2011-02-25 09:53) 

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